人間の成長の歴史(2024.5.3)
中世ヨーロッパにおいて、歌う時には身体(口)から前に出すような発声法はしていませんでした。身体の中を美しく響かせながら、頭上(天)と足元(地)に一本の流れを通すように歌います。歌は主に教会で歌われていたため、口から声を前に出すような発声は人間のエゴ(我)を出すことになるため、禁じられていたのです。
その後、プッチーニのオペラのような人間の愛憎劇が流行るようになって、その発声法は変わっていったと言われています。社会はルネッサンスから産業革命へと移行し、人類はエゴの成長と共に、多くの発明や経済の発展という変化を経験しきました。
人類は一人の人間の一生そのものです。
この先の未来のために~世界が向かっている方向から(2024.4.12)
神羅万象全て同じところには留まらず変化を続けています。今、その変化は目に見えて急加速しているため、占いや予言など他人の情報に頼らなくても、視野を広げ今起こっている出来事を注意して観察すれば、その先の未来は見えてきます。
日々の出来事に追われ忙しくしていては分かりません。自分の中に「ゆとり」というスペースを創ると、そこに情報が流れてきます。仕事や家事、やらなければならない課題で忙しいなら、あえて休息する勇気を持ってください。それは未来の自分ためになります。
これからの世界を生き残るには(2024.4.9)
人類は向かうべき方向へと急加速しています。そして今年2024年この動きは誰の目にも分かるように表面化し、2025年には大きく動き出すでしょう。周囲の情報に確かなものは何一つなく、すでに人々はAIの情報に振り回されています。
私たちは、周囲の人や出来事にとらわれながら生きるのではなく、自分の内側に中心を置くということに意識を向けていく必要があります。それは、これまでの社会通念や道徳観からすると「自分勝手に生きる」ととらえられるかもしれません。しかし、どの様な人も考えも排除せず融合していけば、何も問題は起こりません。自分の気持ちや思いを置き去りにして、周囲に合わせてはいけません。おそれず、自分の心に忠実に生きていきましょう。
量子もつれ(2024.4.4)
2022年のノーベル物理学賞の受賞は、「エンタングルメント」を証明した3人の科学者が受賞しました。エンタングルメントとは、最も簡単に言えば「離れた物質同士が影響しあう」というもので、日本語に訳すと「量子もつれ」といいます。かつてあの天才科学者アインシュタインはこの現象を「不気味」といい「不可能である」と論文に発表しました。
しかし今、慶應義塾大学では2018年より、この仕組みを利用した「量子コンピューター」の研究がスタートしており、スパコンを超えた能力を発揮するであろうと期待されています。
さらに、数学的には「この三次元の世界はホログラムのように記録された平面に囲まれた、閉ざされた世界である」ということが分かっています。
現在、先駆けて「量子もつれ」を研究している日本の科学者たちは、「時間の逆転(undoアンドゥ―)」へと研究を進めてます。
量子力学はこれまでの概念では到底理解できないものですが、それが着々と現実のものとなっているのです。
自分の人生を生きる(2024.3.24)
日本人は相手を慮り周囲との調和を図るよう努め、自分の気持ちをダイレクトに口に出すことをしません。でも、他人に合わせて表面的には上手くいっているように見えても、自分の心は調和がとれているでしょうか?大切なのは、自分自身の心をコントロールせず正直に感情を表現することです。
人は「自分を出したら嫌われる」「違う考えを言うと阻害される」という恐れから自分を素直に表現出来ません。しかし、たとえば目の前の相手があなたを非難しても、それはその人自身の心の叫びであり、あなた自身に対する評価とは全く関係ありません。恐れずに自分を表現していくと(相手を非難するのでなくただ気持ちを表現するだけですが)、心の被いが外れ自分の中から答えが出てきます。唯一無二の自分の人生を歩み始めることができるようになるのです。
つまり、自分の中からの声に従って生きていけるようになるということは、魂の望む「幸福」へ進むということです。
世界の終わりは本当にあるのか(2024.3.20)
世界の終末を予見するような情報が飛び交うこの頃、これから起こるかもしれない自然災害や人災などに対して、「考えても仕方がない」「みんなが同じように体験し命を終えるなら、自分だけ助からなくてよい」「どうせみんな死ぬのだから」という考え方を持たれている方は多いようです。
本来、人は不幸せになるために生きているのでもなければ、成長し学ぶために困難や辛い出来事を経験しなければならないのでもありません。もれなく皆全員、幸せになるように設定されています。
しかしながら、本来ならばスムーズに向かうはずの「しあわせへの道」を阻害しているのは、信じられないかもしれませんが、抗えない自然の驚異でも、政府でも世界の陰謀でもありません。人の意識です。私たちは経験や教育から得た価値観を大切に抱え、同じでない他者を批判したり競ったり争ったりします。このような個人レベルのことは、世界の出来事に反映されています。人の意識が世界に大きく影響しているのです。
個人ではどうにもできないということはありません。たった一人の意識が世界を変えるということです。一人一人の意識が変われば未来は変わります。
鼻水は悪くない(2024.3.11)
春は芽吹きの時です。草花のように人間の体内のゴミが噴き出してくるので、吹き出ものや鼻水、だるさ頭痛も起こりやすいです。今まさに、アレルギーに苦しんでいる真っ最中であれば、とても受け容れられないかもしれませんが、花粉は刺激材になって体内に溜まったゴミを鼻水と一緒に排出してくれているのです。
いくら血液をきれいにしようと心掛けていても、大気中にはマイクロプラスティックなどのように人間が出したゴミや化学物質はたくさん含まれています。食べ物だけでなく口や鼻、皮膚からからたくさんの不必要なものを体内に取り込んでしまっているのです。
日々の生活の中で、少しでもよいので自分の体内をきれいにしていくことに目を向けていくというのはどうでしょう。たとえば苦味の強い春の野菜は、体内に溜まった毒を解毒をしてくれます。
そしてなにより内臓は感情に直結していますので、最も大切なことは気持ちを貯めないことです。嫌なことがあったら「バカヤロー」と叫んだり、悲しかったら思いっきり泣いても良いのです。痒みによる流涙や水っぽい鼻水は哀しみの象徴です。無意識に溜め込んでいるのかもしれません。
心身ともにナチュラルな暮らしを心掛ければ、自然界がスムーズにサポートしてくれますから。
コミュニケーションの極意(2024.2.26)
コミュニケーションとは野球のキャッチボールのようなものです。常に同じボールを受け取ったり投げ返したりしています。
人が他人に自分の気持ちを話すとき、何かしらの感情を「吐き出したい」あるいは誰かに「聞いてもらいたい(共鳴・共感してもらいたい)」から言葉に出します。通常の生活の中で交わされる会話の中で使用されるボールは、その人の「気持ち(感情)」そのものです。
人はただ、「自分(気持ち)をシェアしたい=分かってもらいたい」と思って気持ちを表現します。その時、私たちはただその人の感情を受け取るだけでよいのです。もし相手の話す内容に納得できず、その考え方に同意できなくても、ただそう思っている相手の状態(気持ち)を理解してあげるだけでよいのです。
ここで間違ってはいけないのは、相手が共感してもらいたいのは「気持ち」であり「意見や考え方」ではないということです。たいてい、聞く側の人が話す相手の考えに共感できないと、話に真摯に向き合っていればいるほど自分の考えを伝えてしまいがちです。しかしながら、もし途中で不意に違う形状のボールを投げ返されたら、相手はビックリして怒り出すように、ほとんどの場合大喧嘩になるか決別されてしまいます。
もし相手が一生懸命話していたら、先ずはひたすら受容を繰り返すことです。すると、次第に落ち着いてきて「自分をわかってくれた」と思い心を開いてきます。このように安定した状態になって初めて、違うボール(相手の意見に対して思う自分の意見)を投げることができます。たとえ違う意見であっても、問題なく意見交換しながら会話を楽しめるようになるのです。
相手と違う意見であっても、本来は自分の価値が下がったり批判されたり馬鹿にされたり…ということはありません。人はただ、感情という自分の存在を受け容れられないときに怒りを感じるだけです。人との関わりの中で、相手の存在を受け容れ、恐れずに自分らしく自分を表現してください。
おまけ:自分の心を押し殺して他人に合わせることばかりをしていると、積もり積もって苦しくなります。意見や考え方は人の数と同じだけあります。似たような傾向のものであってもピッタリと同じということはないのですから。
人間は成長したい生き物(2024.2.20)
「なぜこんなことが」と思えるような出来事が起こったり、大きな事故に巻き込まれたり、いつもはしない行動をして怪我をしてしまったり...このような災難が起こると、人はお祓いした方が良いのでは?と不安になります。または、どこかご利益があってパワフルな良い神社仏閣を必死に探そうとしたりもします。
興味深いことに、その様な方のほとんどが、数日前あるいは数週間前の通常の会話の中でこれから起ることを予言しているような言動を無意識のうちに発しています。いうなれば、起こるべくして起こっているという感じです。たいていの場合、私が通常の人間関係において、そのことに気づきこれから起こることがあらかじめ分かったとしても、簡単にはお伝えすることが出来ません。(よほどのことと思ってお伝えしても、単に恐怖心をあおるだけになり、本当の意味を理解していただけないことがほとんどです。) なぜなら、基本的にはアクシデントや大変な出来事は災難ではなく、ご本人の魂からのお知らせであり、意識の持ち方によってはその出来事から変化し大きな恩恵を受けとることが出来るきっかけだということを、当事者である本人の無意識の意識が一番よく分かっているからです。
しかしながら、物理的にそのリスクは大きいです。出来るだけ大変な出来事によって気づき変化するのでなく、穏やかに安全に変化していきたいものです。
そもそも「違う」がスタンダード(2024.2.15)
自然界に存在する全ての鉱物、植物、植物は、種や属性が同じであっても、同じ色や形、大きさや含有物のものは一つもありません。これが真実であり真理です。人間も一人一人が唯一の存在であり、オリジナルです。全てが違っているのですから、本来「変わっている」とか「違う」ということはありません。反対に、同じであることの方が奇跡的なことであるため、驚くべきことなのです。人と違っていることに悩んだり、傷ついたりするのは、私たちが唯一無二の存在であるということを忘れているからです。
黒い服を着るときの心理(2024.2.11)
黒を身にまとう時、意識のベクトルは内に向かってます。つまり、自分の世界に入り込んでいるため、ある意味では周囲をシャットダウンした状態とも言えます。とはいえ「周りの影響を受けず自分に集中できる」という意味では、時には必要な状況もあるでしょう。注意が外に向いていない状態ですから、一人になりたい時、落ちついた一日を過ごしたい時には適しているかもしれませんね。なにより、黒は光を取り込むのですから、寒い日には着たくなる人が多いのではないでしょうか。
雪が降ったら強力に浄化される意味(2024.2.6)
私たちが目にしている太陽の光は、多くの色を含んでいます。地球上の物質はその光の色を吸収し、内部に取り込んでいない色のみを反射しています。黄色い花や緑の木々、赤い果実等、人間の視覚がとらえている色はその物質の本質ではありません。自然界は私たちにその色(光)の持つパワーを分け与えてくれています。
黒色は、光のすべてを取り込んで吸収してしまいます。光の全てが内に内に入っていってしまうのです。(黒い服を身にまとう意味はまた後で)
白色は、光を吸収せず外部にすべてを反射しています。光は、悪も善も全てをやさしく包み込んで同調し、波長を整えてくれます。雪は光の全てを世界中に分け与え、まき散らしてくれているのです。
雪が強力な浄化になるのは、雨と同様に大気中のごみを全部取り込んで大地に流してくれる役割だけでなく、色と光の作用もあるからです。
未来は決まっていない(2024.2.1)
パラレルワールドを、実際にはあり得ない世界として捉えている方も多いでしょう。しかし、量子力学の世界では100年以上前から、量子のふるまいとその世界観は多くの物理学者によって研究されてきました。そして時代が進むにつれ、その真相が少しずつ解明されてきています。
量子力学による多世界解釈とは、多くの世界が同時に複数存在しているという学説です。可能性は1つではなく、結果は必ずしも決まっていないという考えから発展し生まれました。
沢山の点(可能性)が存在している中で、私たちは今この瞬間に1つを選択して生きているのです。自分自身がどれを選択するかでその先の結果は決まります。しかし、その選択は過去の経験による記憶によって選択されているため、ほとんどの場合決まったパターンになってしまいます。占いなど未来を予測する時は、その人(あるいは社会的な集合意識)の状態や傾向を見ていますよね。選択するパターンが大方決まっているので、多くの人は未来が決まっているかのように錯覚しています。
私たちはこの世に生を受ける前に、人生において経験する出来事はある程度おおまかに決めてきますが、細かい設定はしていません。目の前の出来事を今の自分がどのように選択するかで、その後の流れは大きく変わってくるのです。
参考:「シュレディンガーの猫」
逃げれば逃げるほど追いかけてくる(2024.1.27)
毎日の生活において、仕事や家事、人間関係、健康、勉強など…思い通りに行かないことは多々起こります。そのような時、心のやすらぎや安定を求め、趣味やゲームの世界に没頭したりお酒を飲んで気を紛らわしたり、時には占いやスピリチュアルなサイトにアクセスし頼ろうとすることがあるかもしれません。それらは避難所的役割として、一時的に利用することは決して悪いことではありませんが、現実を省みず長く逃避し続けると(自分では逃避とは思っていないことが多いですが)、反作用として必ず引き戻されます。健康障害や事故、家族や身近な人の不幸など、心身の痛みを起こして、今この肉体に(現実に)目を向けなければならないような出来事によって、自分の意識を自分自身に向けるように仕向けられます。それは、自分の命を守ろうとする働きであり、本当はありがたいものです。どうか、そのメッセージ(肉体に引き戻す力)を排除せず、自分が今取り組まなければならないことに気づいてください。
記憶は現在と未来に影響を及ぼす(2024.1.25)
人の意識は流れる雲のように同じところにとどまっていません。昨日と今日の考え方や数時間前の数十分前または一秒前の気分が変わるように、ずっと同じ状態ではありません。つまり、特定の人物に対して「こういう人」と思っていても、過去(1秒前も過去です)の記憶と同じ人はそこにはいません。ただ、自分の脳の中に記録された相手に対するイメージが視覚をコントロールし、現実の相手をそのように(勘違いして)見ているだけです。 自分の記憶が「この人はこういう人」と思っているから、こういう人として目の前に現れているだけです。
目の前の人は怪獣かヒーローか(2024.1.17)
私たちの五感は真実を感じ取っていません。目の前の人が、本当はどのような人なのか、姿もその中身も誰にもわからないのです。この世に存在する全ては光の集合体なのですから、嫌だと思えば、目の前の粒子は瞬時に嫌な姿に変化します。自分の観たままが目の前の現実を創るのであるなら、どの様に観たいですか?現実の出来事は、自分次第なのです。
参考:二重スリット実験
嫌だなと思う時(2024.1.11)
仕事や学校または習い事が始まる前、「嫌」とまで思わなくても、少々緊張を感じたりすることは多いかと思いますが、この「身構える感覚」は過去の記憶から「こういうものだ」あるいは「これはこうなるだろう」と予測しているから起こるものです。
しかし、全ての事象は同じまま続いていません。ただ私たちが想像し創造しているだけです。昔々プールの授業の時、寒そうで躊躇していても思い切って飛び込んでみると案外大丈夫だったりするように、不安は自分の想像であるだけです。
「願い」について(2024.1.8)
望みや願いを口にする時、大抵は「~でありますように」とか「○○祈願」などと唱えますが、「△△だったらいいな」というのは、実際には「現実にはそのような状態ではない」ということを宣言してしまっているようなものです。人の意識は現実に反映されます。そして、声は最もパワフルに言霊となって現実を創ります。
セリフはハッキリとした口調で肯定文を用い、今現在すでにその状態であり、願いは叶っている状態であるように言うとよいです。しかしそこに心配や不安(葛藤)があれば、そちらの方が現実化されてしまいます。
「楽に生きる」を選択する(2024.1.7)
「頑張って働いて収入を得る」ということが世の中のスタンダードであり、そうでない人は歓迎しない呼び名で呼ばれ社会の厄介者のような扱いをされたり、たとえばアルバイトで働いていても、家族は周囲の目を気にして「きちんと就職して」と願っていたりするケースは多いです。
しかし、世界は「頑張って何かを得る」という流れから、「願えば叶う」という方向へと向かっています。AIが進化しているのもその流れです。何も恐れる必要はありません。
どう生きるか(2024.1.6)
物質的なもの(仕事、お金、地位、評価、人気あるいは友人、もっと言うなら健康でさえも)一時的に満たされたとしても、常に無くなることへの不安は消えません。これからの世の中、「どう生きたいのか?」が重要になってきます。「自らを満たす、充足させる」ということに重きを置き、心の中が充実した状態を目指すことです。
夢見(2024.1.2)
眠っている時は、顕在意識がシャットダウンされ潜在意識が活発に活動しています。夢によって、普段捉えられない無意識の領域を認識できます。自分の意識(特に無意識の領域)が目の前の現実を創っているのですから、夢は自分の中の叡智がこれから起こそうとしていることを、自分自身に教えているのです。
お願いごとをする時(2024.1.1)
最も効果的のは心の中が均衡が保たれている状態を心掛けることです。強いこだわりや概念を持つことはこの世的価値観からすると良いことと思われていますが、良くも悪くもどちらかに偏った状態です。自分自身のバランスが取れていない状態では願いは叶いません。
神社仏閣へ参拝する時(2023.12.31)
お詣りは参拝を決めた時から始まっています。当日までに自分の思いや気持ちを整理しておくことは大切です。境内に入ったら不要なものは手放すように促され、拝殿に立ったら自分の状態とそのまま対峙することになります。